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初代生誕125th
記念特設ページ



<上:初代信重の白銀師(はくぎんし)時代

1886年 明治19年3月3日、初代小島信重が生まれる。
この明治の時代に青春期過ごした初代。

1901 明治34年  初代 信重15歳
口伝ではこの年には、末次師を師事している。

もろもろかんがみると
初代が独立して100年以上ともいえる。

「鎚起の沿革」
日本鍛金工芸会 昭和41年6月15日発行
編著者 藤本 長邦  名鑑編者 松本 外茂次に、
系譜が記されている。
師:末次吉之助号正行 昭和5年5月没 73歳 
下谷茅町に住す、代々江戸城本丸に 出仕、
維新後腰元錺技術を習得後彫金技術をも研鑽し、
赤銅、四分一等金銀を駆使せる 置物、
床飾り及び神社仏閣の模型製作に
卓越なる技倆を示す。
代表作 五重塔 高さ五尺八寸 三井家蔵 

門人に小島啓蔵号信重土浦の人、
銀製お神輿または鐘楼等を得意とした。

<出典:鎚起の沿革 日本鍛金工芸会 >

(派の起原ということになると、
もっとふるいことになります。)



<上:初代信重作の名刺>

All Rights Reserved, la bottega di KOJIMA

独立後、滝野川時代の名刺はないが
中根岸(現:根岸3町目)にその後工房を移す。
下谷区という区がまだ在った時代では
「白銀師」を名乗っている。

土地の名が変わり台東区に変わってからは
「鍛金師」を名乗っていた事が名刺から判る。

ご存じの方も多くおられると想いますが、
白銀師は下記画像のような「刀剣」に
使われる「はばき」を造る仕事である。
往時は、軍刀の需要があったため
生業にしていたのかも知れない。


<下:初代信重作の現存する「はばき」>

All Rights Reserved, la bottega di KOJIMA

鍛金師の時代にはおそらく、
花器なども製作したり、飾り物や
香炉などを製作していたと想われる。



<上:初代信重作の柄香炉>

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肩書きはともかく、彫金も出来たようで
下記のような、兜に使われる「しかみ」が
残されている。


<上:初代信重作の兜飾、しかみ>
All Rights Reserved, la bottega di KOJIMA


大正時代、某銀行の頭取の以来で
製作を始めたと言う、「朧銀製 神輿」

完成は昭和36年であった。
二代目も色上げを手伝ったそうだ。



<初代信重作の神輿>

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1954年昭和29年に15歳で、二代目が弟子入りする。

そう書きますと、「初代の年齢が高すぎないか?」と
思う方も居られると思います。
初代がかなり、昔のヒトだとなります。
初代は筆者信一(のぶかず)から見て血縁上は、
父方の曾祖父で、戸籍上は祖父になります。
 初代は一人娘だったので、
実の孫であった父が養子縁で息子となった為である。



<初代信重の作業風景>
All Rights Reserved, la bottega di KOJIMA

戦後は、進駐軍向けの銀製品、
宝飾品なども造っていたそうで
時代に合わせて変化していったといえる。

いづれにしても
真摯に工芸に向き合った初代。
今年、生誕125の佳節に
我々工房一同、当時をしのびながら
原点を見つめなおして 精進してまいります。



「銀工房こじま モノがたり」にも
色々掲載しております。
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2020-12-1
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